(5)わがふるさと(明倫編)

私は倉吉のまちが好きです。私は、生まれてから高校まで倉吉で育ちました。小学校3年生まで明倫地区で暮らしました。小鴨川の河原で遊び、夏には河川敷での花火大会が楽しみでした。そして、雄大な大山の姿が私にとっての原風景です。

その後、河北小校区に転居、学業と仕事のため東京、埼玉県、北海道、愛知県で過ごしました。「住めば都」とはよく言ったもので、それぞれの土地や人との出会いがあり、人生を豊かにすることができました。
30代半ば、教員として鳥取県に帰ってきました。三朝町立西小学校、社小学校で教諭として勤務、倉吉市教育委員会での3つの課(教育総務課、同和教育課、学校教育課)での勤務した後、明倫小学校と上北条小学校という2校(明倫小学校には平成16年10月から平成21年3月まで、上北条小学校は平成21年4月から平成25年3月まで)校長として勤めました。いずれも生まれ育った地区の小学校(当時の河北小学校は、日下小学校と旧上北条小学校が統合してできた小学校でした)生まれ育った地区の2つの小学校に校長として勤めることとなり不思議な縁を感じたものです。
明倫小学校は、明治時代に児童数の増加により成徳小学校から分かれて開校した学校です。開校100周年を控え、学校の歴史を調べていく中で学校に対する地域の皆さんの小学校に対する思い入れを感じました。下記の資料は100周年を控え、学校沿革誌などを参考にまとめたものです。(同様の記事が明倫小学校ホームページにも「明倫症の歴史」としてのっています)

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